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~競技ダンスの音の前取り後取り~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 音の前取り後取り
音の前取り後取り

 

 

もう20年以上の前のことです。母校の東京理科大学を卒業し学生競技ダンス連盟(通称、学連)の現役生活を引退して社会人になったばかりの頃。理工戦という大会のOBジャッジをしました。

 

学連とは全国にある学生競技ダンスを行う部活の団体です。私は東京理科大学に入学し、同大学の舞踏研究部に入部。社交ダンスを競技として行う学生競技ダンスに熱中しました。その経験が今の職業に直結しています。学連は地域によりブロックが分かれており、母校は最大規模の東部日本ブロックに所属。他には北から全北海道、全東北、中部日本、関西、中国・四国、全九州とありました。東部日本ではレギュラー戦と呼ばれる学連主催の競技会と招待試合と言われる各大学主催の競技会が存在しています。理工戦というのは理工科系大学学生競技ダンス選手権大会の略で年に2回、春と秋に開催されていました。理工戦は非常に特殊な競技会で当時の参加大学は東京理科大学以外に、武蔵野美術大学東京農業大学千葉大学成蹊大学東京電機大学東京都立大学筑波大学獨協大学青山学院大学の10校。この10校が理工戦校と言われ合同で大会を運営していました。理工科系大学という名称とは裏腹に純粋な理工科系大学は東京理科大学と東京電機大学だけという奇妙な大会。総合大学ならまだしも獨協大学には理工系学部はありません。理系の東京農業大学や建築関連がある武蔵野美術大学でも無理があります。東部日本ブロックには他にも東京工業大学、電気通信大学、工学院大学といったこれぞ理工科系大学という大学があったのですが。これは理工戦が設立された理由が他の競技会では勝つことができない弱小校が集まり内輪でこじんまりと行うことを目的としていたからだそう。そのときの弱小大学が理工戦校だったとか。特に中心にいたのが東京理科大学らの理工科系大学で、実験やレポートで大変なんだ!という意味を込めてこの大会名にしたのだとか。私が現役の頃で既に60回を数える伝統があり、本当の所は定かではないのですが。ただ理工戦校は各校強豪校になっていき、本来の意義が薄れたということで東部日本ブロックの大学がオープンで参加できる競技会として皐月杯という大会に生まれ変わることにします。理工戦校が主催のまま、春の理工戦を皐月杯に変更したのです。ただあまりに運営が大変でさっさと理工戦に戻す判断をしたため秋には通常通りの理工戦開催へ。翌年の春はいつも通りの理工戦となり皐月杯は一度限りの幻になります。ただ翌年、東京都立大学が自身の招待試合としてやりたいと申し出て採択されます。空いた日程に皐月杯を入れたため、6月に開催する“皐月”杯という矛盾が生じるのでした。理工戦は別に継続していきます。そのうち、同じく弱小校だからという理由で神奈川大学は参加が認められ、更にその後中央大学と法政大学が参加を希望するも却下されたという経緯があります。なお現在は、コロナ禍を経て理工戦は現在のミニ東部という大会に名称を変えて東部学連主催の招待試合という位置づけになっており、理工戦という大会は無くなっています。話を戻して理工戦はOBジャッジという制度を取っており学連を卒部してOBOGジャッジ研修を受けて合格し資格を得たOB、OGが審査員を務めます。そして共通ジャッジといってモダン(スタンダード)、ラテン(ラテンアメリカン)の両方を審査するのです。他の招待試合ではモダン専攻、ラテン専攻のOBジャッジを用意することが多いです。

 

まだ私がOB1年目か2年目くらいの頃だと記憶しています。理工戦のOBジャッジとして理工戦に審査員として参加していました。他の理工戦校からもOBジャッジが呼ばれており、その大会には武蔵野美術大学から本池淳さんがいました。現在、学連OBOG練習会モダンの部の講師を務める本池淳先生。この頃はまだプロになっておらずアマチュア選手として活動していたのでOBジャッジに来ていました。プロに転向するとOBジャッジの資格は失われます。ジャッジ控室で昼飯休憩中にOBジャッジ達が雑談をしているときにダンスの技術論の話になり本池淳さんがこのような話をしました。

 

音の前取りと後取り。音は後ろで取る。1年生は音を前で取ってしまうからチャチャチャはバタバタ忙しく見えてしまう。

 

このとき私は何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。本池さんは続けます。

 

例えば『さくら』の歌だとすると。(文字で強引に表現すると)さ!ぁ、く!ぅ、ら!ぁ、あ!~と音のはじめにアクセントを入れて指を鳴らしました。これが音を前で取る。続いてさあ!、くう!、らあ!、~ん!と音の後半にアクセントを入れて指を鳴らすパターン。音の後ろで取る。このように本池さんは説明を加えました。

 

私には頭の中で疑問符があふれました。後者は裏拍という感じのようです。タン、タン、タンとリズムがあったとして、タ!ン、タ!ン、タ!ンと手拍子を入れるのに対しンタ!、ンタ!、ンタ!と裏で手拍子をするようなことなのだろうかと考えました。音楽の素養、楽器演奏をきちんと習ったことのない私には判断がつきません。仮にそうだとしたとして、それがダンスの動きにどう関係するのだろう?と。見れば習ったばかりの1年生のチャチャチャはジタバタしているように動くことは分かります。私自身、1年生の夏にチャチャチャを習って動きについていけなくてラテン専攻を諦めた経験がありますし。トップ選手はスピードがあるのに安定して落ち着いて動いているように見えます。その違いは音を前で取るか、後ろで取るかによるもの。どういう理屈でそうなるのか。その場で聞いていて本池さんの言わんとしたいことは全く理解できませんでした。

 

この疑問はその後10年くらい引きずります。つまりそれだけ心に残り気がかりだったということ。現役時代、1学年上のトップモダン選手だった本池さんは憧れでした。同じ理工戦校連盟委員であったので面識が2年生の頃からありました。数少ないですが教えてもらったことは心に残っています。あの頃モダン弱小校だった東京理科大は後にチャンピオンを輩出し、トッププロ選手が生まれるモダン強豪になっていきますが、私が歴代の後輩に本池さんから教わったことを伝えていった経緯があり、間接的に本池さんは影響を与えていったと言えます。音の前取り後取りの話はどういうことなのかをそれから何年も考えることになりました。

 

大学を卒業後に一般企業に新卒で就職した私。会社が合わず心身の健康を崩すようになり、3年目には9日間入院する病気に襲われます。それを期に真剣に人生を考えるようになり、会社を辞める決意をします。その先の進路としてプロの競技ダンス選手という道も頭にあったのですが、そこで通用するほどの実力はないことは分かっていました。ダンスの師匠の先生にあたる方にも止めておきなさいと言われました。そして選んだのが今の仕事で、身体面から競技ダンス選手のサポートをしたいと考えたのでした。24歳の9月末に企業を脱サラした私は整体の専門学校に入り人体の勉強を開始します。その1年半後には鍼灸マッサージの専門学校に入り国家資格取得のための勉強に入ります。同時並行でダンスの動きやメカニズムを解剖学、生理学や東洋医学を通して解析する研究をしていきます。自ら動く、後輩の動きを観察する。後輩に徒手療法や理論で介入して(※やっていることは指導してマッサージやストレッチなどをしてあげるのですが学術的に敢えて“介入”という表現をしてみました)どうように成長するのか、パフォーマンスが上がるのかを検証し続けました。もちろん日々の専門学校での授業で学問を学んでいました。

鍼灸マッサージ科を卒業して国家資格(あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師)を取ったあとは東京都北区十条の鍼灸整骨院に就職しアマチュアやプロも含めた競技ダンス選手を職場でみるようになります。十条は社交ダンスの聖地といえるくらい選手が集まっているのです。それまで大学の後輩という身内だけだったものから外部の選手にも触れるようになります。更に国家資格を持ったプロとして。そして現場に出てから1年後に母校の柔道整復科に進学し午前中は柔道整復師になるための勉強、午後は十条の職場で臨床という生活を送るようになります。鍼灸マッサージ科よりも東洋医学科目が無い分、より詳しく現代医学を学ぶ柔道整復科で運動学を学びます。それを現場で競技ダンス選手の施術に応用し、その結果を自分にフィードバックしていきます。時にアマチュア選手の帯同として日本インターという大会のため日本武道館へ、アマチュアB級戦のために後楽園ホールへ。母校外の学連選手のために冬全日本の会場へ行くこともありました。その頃になるとあのとき理工戦ジャッジ控室で本池先生が話した音の前取り後取りのことが自分自身の中で解釈できるようになっていきます。

 

ポイントはまず西洋人と日本人の文化による動きの違い。西洋人というのは非常に大雑把で失礼な表現かもしれませんがアメリカ、ヨーロッパの白人全般と日本人で比較するという意味です。日本人は引く動作が得意で西洋人は押す動作が得意です。筋肉でいうと日本人は屈筋群優位で西洋人は伸筋群優位だとされています。ノコギリを例に取ると日本では引いて切り、西洋では押して切ります。日本刀は引いて切りますが、フェンシングは刺します。柔道の投げは背負い投げが典型例ですが体を曲げる、腕を引いて投げる技が多いです。レスリングはスープレックスという反って投げる技や前に押していくタックルがあります。このように押すと引く、伸筋優位と屈筋優位という違いがあるといいます。それは歴史文化によるものとされて、農耕民族だった日本は田畑を耕すときの鍬を引く動作や畳で生活する生活様式により、引く方が得意で前屈みになりやすい。騎馬民族だった西洋人は馬に乗るので後ろに反る姿勢が多く、また椅子とテーブルの生活なので前屈みになりにくい。更にリズムの取り方も乗馬のパッカ、パッカという感じが音を後ろで取りやすいというのです。確かにと思いました。そして競技ダンス、社交ダンスはもちろん西洋の文化。西洋人の骨格や動きに合ったものであるはず。日本舞踊とは違うわけです。そう考えると音を後ろで取るという意味が見えてきました。

 

次のポイントは重心移動と体重移動。物体には重さの中心たる重心という1点が存在します。人体でも身体重心という点があり、立位では骨盤の中(正中線上でだいたい第2仙椎前方)にあります。その重心が、床に接地している面(支持基底面)の範囲にあるときは立っていられます。支持基底面外に重心が出るとバランスを崩すのです。移動するということは重心を支持基底面から外すことになります。重心に対して体重は大きさがあります。重心は点なので理論上は大きさは存在しません(数学的な視点です)。体重は物体の重さ(質量)なので大きさがあります。腕や足を動かせば体重の一部は動きます。足を前に出しても重心が支持基底面内に残っていれば移動は起きません。体重(の一部)は移動しても重心は移動していないのです。反対に手足を極力動かさなくても重心を支持基底面外にずらせばバランスを崩して体が移動します。重心だけを移動させられれば体全体は大きく動きます。

 

これらのことから音を前で取るというのは、まず足を出してそれから重心が移動していく動き方、なのではないかと考えました。音を後ろで取るというのは、重心の移動を開始してから足を出す動き方、になるのではないか。社交ダンス初心者の新入生をたくさんみてきました。最初にワルツを教えるのですが、多くの新入生は足をまず出してその前足で体を引き寄せるようなことをします。足は出ているようで体は動いていない。典型的な様子です。これは重心が大きく移動できていない結果です。それは出した足が地面に着くことで支持基底面が広がり、重心がその中に入れば立てるので重心の動きは小さくても済んでしまいます。上手になってくると足を出す前に体重を支えている足で重心を前に進めてからもう一方の足が出ます。前者の動きを音を前で取る、後者の動きを音を後ろで取る、と表現しているのではないかと考えました。いつか私のダンスの師匠である坊迫先生に、ワルツの3の終わりを長く取るように、と習いました。“さん”や“さ~ん”ではなく“さん~~”という感じで。その時はそういうものかと思っていましたが、後々に体の動かし方はこういう事だったのかと整理されました。

 

ではなぜ私を含めて初心者は音を前で取るような動きをしてしまうのでしょうか。それは音を前で取るというのは鍬を振る動きやリズムに近いと考えられます。鍬を振り下ろして土にめり込ませる。その後に引いて土を掻き出す。畑を耕す動作です。先に振り下ろす、その後引く。農耕民族の文化を持つ日本人にはしっくりくるのではないでしょうか。ダンス初心者の動きはこの鍬を降ろして引く動作に似ていると私は考えています。

 

このように20年以上前に言われた言葉を研究してきました。正解かどうかは分かりませんが自分なりに時間をかけて学んできた結果です。学連の部活名社交ダンス部、競技ダンス部ではなくは「舞踏研究部」とするところ多いです。そのため学連選手を“舞研人”と称することがあります。研究することが重要なのかもしれません。

 

甲野 功

 

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