開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
私の母校である東京呉竹医療専門学校。在学当時は東京医療専門学校といい、今年の4月から校名が変更になりました。学校法人呉竹学園が運営しています。同学園は3校の鍼灸マッサージ及び柔道整復の専門学校を持っています。それは東京校、新横浜校、大宮校です。東京都四谷から始まった本校。静岡県の熱海に分校を作り、それが後に神奈川県新横浜駅前に移転します。私が四谷の鍼灸マッサージ科を卒業した後に埼玉県大宮駅前に分校を作りました。東京校はJR中央線・総武線、東京メトロ丸の内線・南北線四ツ谷駅近くにある四谷校舎とJR総武線、都営地下鉄大江戸線代々木駅前にある代々木校舎の2つ校舎がありました。つまり呉竹学園は3校の専門学校があり、4つの校舎(正確には校舎群)があったのです。 この8月に東京校代々木校舎から四谷校舎への引っ越しが終わりました。それにより代々木校舎42年の歴史に幕を下ろしたのです。 代々木校舎には鍼灸マッサージ教員養成科と柔道整復科がありました。私は鍼灸マッサージ科(通称、本科)、柔道整復科(通称、柔整科)、鍼灸マッサージ教員養成科(通称、教員養成科)を出ております。全て東京医療専門学校(当時)です。それぞれ本科3年間、柔整科3年間、教員養成科2年間、学校に通わないといけません。つまり通算8年間。小学校ですら6年間ですから人生で最も通った学校です。その8年間のうちの5年間通ったのが代々木校舎でした。柔整科と教員養成科の間には1年間空いているので連続ではありませんが、丸5年間。小学校を除くと最も通学した校舎です。大学は4年間ですし。それ故に思い入れ、思い出があります。
代々木駅前にあった学園ビル。ビル一棟が呉竹学園のものでした。建物そのものは新しくありませんでした。それは42年間使用していたのですから当然です。しかし本科のあった四谷校舎はもっと古かったのでむしろ新しく感じました。四谷校舎は四ツ谷駅から歩いて住宅街に入ったところにあります。今はコモレ四谷がどんとありますが、在学当時は色々な建物が密集していました。ギリギリ再開発にひっかからない位置でした。民家の隣にあり、小さな校舎が点在していました。それは今も変わりませんが。そこから1号館を建て替え、新しく5号館を建築し、そして本館を建て替えることになります。かなり長い道のりでした。新宿区は遺跡がよく見つかるところ。例に漏れず、建て替える際に発掘調査が入り本館の工事は予想よりも遅れたそう。途中コロナ禍や東京オリンピックも挟みました。そして遂に本館が完成しました。それにより四谷校舎の建て替えが完了したのです。コロナ対策もあり分散していた本科、鍼灸科、夜間鍼灸科は新本館に統合されます。そして代々木校舎から養成科は5号館へ、柔整科は新本館にこの8月に引っ越してきたのです。
それにより四谷と代々木で分かれていた東京校が統合されました。本日8月26日から柔整科が四谷校舎での授業がスタートしたといいます。 完全に移転が終わった代々木校舎。教員養成科を卒業後も毎年卒業論文発表会に出席するため訪れていました。四谷校舎の方が同じ新宿区ですから近いのですが、代々木校舎は新宿駅から歩くことができ、新宿で大江戸線に乗り換えることが多い私は代々木校舎の方が足を運びやすかったです。そのため教員養成科の職員室に顔を出したり代々木校舎の図書室を利用したりしていました。また柔整科職員室には柔整科の同期が勤務していたこともあり、気兼ねなく足を運んでいました。教員養成科を卒業して数年経ったときから年に一度特別授業を担当することになります。講師として代々木校舎に入るというのは母校凱旋という感じでとても高揚したものです。5年間学んだ校舎で教壇に立つ日が来るとは、という。直近では今年の2月に教員養成科卒業論文発表会のために代々木校舎に行きました。それが最後になりました。 旧東京医療専門学校に入学したのがちょうど20年前の2004年4月のこと。20年も経てば環境は変わるも尾です
学んだ四谷校舎は2棟を残して建て替え。代々木校舎は幕引き。ステップアップしていくのです。代々木校舎については一度振り返ることをしておきたいと思いました。
30歳にして柔道着を着て受け身を取った柔道場。有段者の投げ込みで頭から落とされそうになり高校時代に習った体操技術で受け身を取り事なきを得たこと。同級生と乱取りをしていて相手の足の小指が完全骨折したのを目の当たりにしたこと。教員養成科の卒業研究を行ったのも柔道場でした。
柔整国家試験を前にして毎日朝から晩までみんなで勉強した学生ホール。教員養成科になると研究や話し合いで利用しました。
3~4階の教室は柔整科。特待生を取りました。定期試験の成績順に席が決まるのは刺激的でした。
2階は養成科の教室。1学年に一つ専用の施術室があり、放課後に思う存分自主練習ができました。朝から晩まで学校で勉強や練習をしたものでした。養成科の2年間が大きな成長をもたらしました。
普段は開くことのない扉の実験室がありました。教員養成科の実験にしか利用しない部屋。柔整科3年間でも一度も利用したことのないところでした。東京理科大卒の私でも驚くレベルの高い実験を体験しました。
2階から入れる附属施術所。1年生の年明けから一般の患者さんを担当。クラスメイト全員で運営を行う疑似開業のような場でもありました。そこでは相談役という初の役職を拝命し、受付を行わない臨床に出続ける立場でした。
20代の最後3年間と30代前半を過ごした代々木校舎。成長の場であり、活躍の場でもありました。思い出をありがとう。
甲野 功
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