開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
私があん摩マッサージ指圧師、鍼灸師の国家試験に合格したのは平成19年(2007年)の3月のことでした。その年から約4年間、東京都北区十条で働いていました。場所は十条駅と東十条駅のどちらかも同じくらいの距離にあり、富士見銀座商店街にありました。下町の商店街という感じでした。そこでたくさんの患者さんと知り合い触れ合いがありました。その中にイギリス人女性がいました。学校で英語を教えているのだとか。多分に漏れず日本文化が好きで来日したといいます。その方が年越しは日本ですると言いました。日本人の感覚だと正月、年末年始は実家に帰るのが普通ではないでしょうか。欧米ではクリスマスを非常に大切にしていて新年はあまり重要視しないなどと聞いたことがあり、そういうものなのかと思っていました。ところが彼女は王子の「狐の行列」を観るため帰国しないというのです。そのときは何のことか分からなかったのですが、調べると十条の隣にある王子にお稲荷様があり、大みそかに狐の恰好をした行列を行うのだと。その後、実際に「狐の行列」に参加した人に出会い、そのときに被っていた狐のお面を見せてもらいました。あのとき聞いていたことだと記憶が合致したものでした。
それからずいぶん時間が経ち、その王子稲荷神社に行ってみました。
王子駅はJR京浜東北線、東京メトロ南北線が通ります。飛鳥の小径という飛鳥山公園の下にある線路沿いの道が紫陽花の名所です。飛鳥山公園は桜の名所として知られていて、また新一万円札になった渋沢栄一と縁があり渋沢史料館もあります。更に都内唯一の路面電車である都電荒川線(さくらトラム)の駅があるのが王子です。王子駅の近くには東京十社に数えられる王子神社があります。それとは別に駅から北西に歩いていき、住宅街の坂を下っていくと王子稲荷神社があります。その坂の名前はそのまま「王子稲荷の坂」。なかなかの急勾配で自動車が減速するように道路に溝が彫られています。周りを学校と幼稚園に囲まれた住宅街にひっそりとある大きくはない神社です。
御祭神は稲荷神社ですから宇迦之御魂神。他に宇気母智之神と和久産巣日神の2柱です。正確な創建時期は不明で平安時代以前とされます。『新編武蔵風土記稿』巻之十八の豊島郡之十「王子村」によれば、荒川流域が広かった頃、その岸に鎮座した事から岸稲荷と名付けられました。康平年中(1058年~1065年)に源頼義が奥州征伐の折に「関東稲荷総司」の称号を与え、鎌倉幕府設立直前の治承4年(1180年)に源頼朝が腹巻(鎧)・薙刀等を奉納したとも伝えられています。江戸時代には徳川家康が王子稲荷、王子権現、両社の別当寺であった金輪寺に宥養上人を招いて以降、江戸北域にあって存在を大きくし、徳川将軍家祈願所の一つに定められました。江戸幕府第11代将軍、徳川家斉が社殿を寄進します。昭和20年(1945年)、第二次大戦中の空襲により本殿は大破してしまいます。昭和35年(1935年)に再建が行われ、昭和62年(1982年)に社殿の総塗り替えが165年ぶりに行われます。このとき神楽殿も新規に建て替えられました。大晦日に稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え王子稲荷神社に初詣をするという言い伝えがあり、これが「狐の行列」のルーツとなっております。この伝承を浮世絵師歌川広重が「王子装束ゑの木大晦日の狐火」と描きました。この浮世絵を再現したものです。
稲荷神社らしく狐の像が置かれています。本殿は大木はありませんが朱色に金色が入った荘厳なもの。また規模は小さいながら稲荷神社の特徴である鳥居のトンネル(千本鳥居)もあります。裏には「御石様」があります。坂の途中にあるため高低差があり、幼稚園側から見上げるように本殿があります。正面の石階段は通行ができませんでした。裏にまわり階段を上っていくと「狐穴(狐の穴跡)」があります。これが落語「王子の狐」の舞台になりました。
参拝したときは公開しておりませんでしたが国認定重要美術品の「額面著色鬼女図」を所蔵しています。これは日本画家、蒔絵師である柴田是真作の大きな絵馬です。源頼光の家臣である渡辺綱は女に化けた茨木童子(鬼)の退治に出かけ、鬼女の腕を切り落とします。今度は鬼女が渡辺綱の叔母に化け、腕を取り返したという伝説をもとに描かれたもの。また谷文晁による板絵著色の龍図も所蔵しています。
稲荷神社の総本山は言わずと知れた京都の伏見稲荷大社です。そこを筆頭に全国に稲荷神社があります。王子稲荷神社はその中でも高い格式を誇っています。関東稲荷総司と言われますが、平安時代には東国三十三国稲荷総司と伝承され東日本全体の稲荷総本社といいます。江戸時代になると関東の範囲が変わったことから「関東八州稲荷総司」に変わっていったとも。何にせよ江戸市中の全稲荷の総本宮でした。なお関東稲荷総司と呼ばれる神社は4社あり、王子稲荷神社以外には文京区の妻恋神社、新宿区の水稲荷神社、中央区の鉄砲洲稲荷神社がそうです。
また関東三大稲荷に王子稲荷神社は数えられると言います。ただ関東三大稲荷はどこをそれにするかは諸説あるようで、呑香稲荷神社によれば古来は王子稲荷、霞ヶ関稲荷(櫻田神社)、呑香稲荷とされ、備後須賀稲荷神社によれば王子稲荷、佐野稲荷(一瓶塚稲荷神社)、備後須賀稲荷とされ、白笹稲荷神社によれば笠間稲荷、装束稲荷、白笹稲荷とされるそう。合計9社候補が上がっています。とにかく王子稲荷神社は稲荷神社の中でも上位にあるのです。
私の人生に偶然にも関りがあった王子稲荷神社。妻が以前働いていたのが王子で、妻と出会ったのは王子の隣である十条。土地の守りとして間接的に縁があったのでしょう。
甲野 功
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