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~東京呉竹医療専門学校校舎~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 東京呉竹医療専門学校校舎
東京呉竹医療専門学校校舎

 

 

今年4月。私の仕事面の母校が校名変更をしました。私の仕事は国家資格ありきのもの。すなわち、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資格がないとできません。更に柔道整復師という、今のところ直接業務に関りはありませんが知識・技術をカバーするのに役立っている資格があります。加えて学生さんに指導する際やたまに講師で呼ばれるときは鍼灸専門学校の教員免許があることが役立っています。これらの資格を取るために勉強したのが(旧)東京医療専門学校。それぞれ鍼灸マッサージ科柔道整復科鍼灸マッサージ教員養成科に通いました。その東京医療専門学校は今年度から東京呉竹医療専門学校に校名を変更しました

東京医療専門学校を運営する学校法人は呉竹学園。他にも「東京」や「医療」が名称につく学校が多数あることもあり、業界内では「呉竹」の名前が通っていました。むしろ正式名称で呼ぶとどこだか分かってもらえないことに。呉竹学園は新横浜と大宮にも学校を持っています。その2校は校名に呉竹を入れています。今回は3校同時に校名を変更し、所在地+呉竹医療専門学校に統一しました。東京呉竹医療専門学校は2年後に創立100周年を迎えます。それに向けて何年もかけて改革をしているところです。

 

校名が変更したことも大きな出来事ですが、新校舎が完成したことはもっと大きなことでした。具体的には本館が新しく建て替えられて新本館になったのです。先日新校舎を見学することができました。ここまで長い道のりでした。

 

まず私の学生時代のこと。旧東京医療専門学校鍼灸マッサージ科に入学したのはちょうど20年前の2004年4月のことでした。当時から今の場所に校舎はありました。しかし現在の5号館は存在せず、1号館と本館が旧校舎でした。2号館と3号館は今と変わらず。住宅地にあったので建物の高さ制限があったのでしょう。民家の中に点在している形でした。そこには当時、鍼灸マッサージ科のⅠ部とⅡ部、鍼灸科のⅠ部、Ⅱ部、夜間部がありました。Ⅰ部は午前中から、Ⅱ部は午後から、夜間部は夕方からでした。学年ごとにメインの教室は校舎が変わり、実技授業の度に外に出てから校舎を移動していました。雨の日はなかなか面倒くさいものでした。一番広かったのが旧本館。2つの建物が連なった形をしていた記憶があります。当時は巨大施設の「コモレ四谷」は存在せず公立学校がありました。入口は駅側と裏の1~3号館側にあり、校舎内を突っ切るように移動していました。この校舎で3年間を過ごしました。なお呉竹医学会という年に一度のイベントがあるのですが、その時は新横浜駅前にある横浜校(旧呉竹鍼灸柔整専門学校、現横浜呉竹医療専門学校)に行きます。ビル一棟が校舎でうちの校舎よりもずいぶんと綺麗でまとまっているなと思いました。

 

鍼灸マッサージ科を3年間通い、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の3資格を取得した私は就職。その1年後に柔道整復師の資格を取るために代々木にある柔道整復科に通いながら働くという選択をします。東京医療専門学校は四ツ谷駅前と代々木駅前に校舎を持っていました。柔道整復科と鍼灸マッサージ教員養成科は代々木校舎にありました。四谷校舎と代々木校舎を合わせて東京校舎と呼んでいました。柔道整復科で3年間。1年空けて鍼灸マッサージ教員養成科で2年間。代々木校舎には合計5年間通いました。そして教員養成科を卒業した後も色々と縁があって代々木校舎には毎年訪れるようになりました。

この間に四谷校舎の建て替え計画が進みます。まず四谷校舎の1号館を建て替える。新しく新宿通り沿いに5号館を建築する。順番に本館も建て替える。そのような計画が走り出します。附属施術所があった1号館が建て替わり綺麗になりました。そして他の校舎から少し離れたところに5号館が完成。そして今回の本館の建て替えが今年4月に完成したのです。

 

校舎の建て替えは引っ越しの連続であり、生徒・教員・職員は苦労したことでしょう。器材を移動して空っぽにする。建物を解体する。新しく建築する。校舎がある東京都新宿区は遺跡がよく出てくる場所。私も新宿区民なので身に染みて分かっています。一度更地にすると発掘調査が入ることが多いです。それにより工期が遅れるということがあります。四谷校舎は校舎が点在しているので一度に建て替えができない分、引っ越しながら授業を継続することができます。その分、まとまらないとも言えます。更に建築途中に新型コロナウィルスが襲います。密を避けるという名目で別に校舎を借りて学生を分散させる処置をとります。そのため学生が物理的にばらけ、授業のたびに教員が移動して、と大変だったと言います。職員室が時期によって場所が変わるという。コロナ禍の最中に単発で授業を持ったことがありますが、科によって校舎が違うということを経験しました。また発掘調査もあり本館の完成には時間がかかったと聞きます。

 

そしてやっと今年4月に新本館が竣工されました。それによりまず鍼灸マッサージ科、鍼灸科が新校舎へ。そしてこの夏に代々木校舎から柔道整復科が新本館へ引っ越し。5号館には鍼灸マッサージ教員養成科が入りました。これにより代々木校舎はその幕を閉じました。同時に東京校舎が統一されたことになります。新校舎は1つの階に6教室あり、各科全学年が同じ階に入ります。この8月末から校舎が分かれていた鍼灸と柔道整復が同じ校舎になりました。どちらも経験している私には入学式・卒業式、体育祭、学園祭、呉竹医学会以外で一緒になることがなかったので考えられない環境です。それを可能としたのは新校舎である本館の広さにあります。見学してその設備に驚きました

 

地下2階、地上6階の本館。かつて2つの建物に分かれていたものを統一させたことで床面積が増えているのが分かります。

地下にはKURETAKE HALLという大講堂ができていました。これにより入学式や卒業式を外部施設で行う必要がなくなります。私の時は有楽町や内幸町の方まで出向いていました。なお柔道整復科の卒業式は東日本大震災のため中止となり、旧本館で卒業証書を取りに来た学生はもらうという形でした。これは柔道整復科の最後を旧本館で過ごした印象的な思い出です。更に同じく地下2階には図書室自習室があります。図書室はまだまだ本を入れるスペースが残っていて机もたくさん用意されています。私は鍼灸マッサージ科時代に図書室でよく勉強していたのでこの設備は羨ましいです。当時のものよりもずっと広いです。更に個別に自習室があるのもいいです。国家試験前は缶詰で勉強するのに図書室より密室性が高い自習室は助かることでしょう。

1階には学生支援室面談室コミュニケーションエリアとこれまで聞いたことのなかった設備がありました。学生との対話、サポートをするための部屋でしょう。今はスクールカウンセラーも入っていると言います。設備面での向上が伺えます。

職員室は鍼灸・柔道整復共通でしかも開かれています。これは大宮校舎と同じ造りで学生が教員と近い距離になります。私の頃は職員室が扉で仕切られていてなかなかそこを開けることはありませんでした。職員室の前にはブースがあり、すぐに教員と生徒が話をできるようになっています。特に懸念だった鍼灸科と柔道整復科の教職員が四谷・代々木で分かれていたものが同じ場所に集まること。経験して気づいていましたが同じ学校なのに四谷・代々木で教職員の色が違うのです。どちらも経験しているのでその差が広報活動に影響しているなと感じていました。新校舎で集まるというのはより判断・行動が早くなることでしょう。

 

特に目を引いたのが2階の学生ラウンジです。飲食可能で交流ができる場。カフェテラスのようです。自動販売機も私の頃より充実していました。横浜校舎は自動販売機のレパートリーが多くて、大宮校舎はこのような広い学生ラウンジがありました。双方の良い点を合体させたようです。鍼灸マッサージ科、鍼灸科、柔道整復科、それに夜間鍼灸科。各1~3年生まで。この学生が同じ校舎で交流できるスペースができたことは大きなシナジーを生むと思います。また他科の教員から学ぶ機会が得られます。急性外傷に関してはやはり柔道整復科専任教員は強いですから、鍼灸科の学生が柔道整復科の教員に学ぶこともできるでしょう。私のときは学年を超えた上下の繋がりが皆無でしたがこの環境だとできるかもしれません。

 

学科長が昨年までは教育資源(学生、教員)が分散化していたが、今年から新校舎竣工で統一されたと話していました。教育資源。経営でいうとリソースです。鍼灸マッサージ教員養成科を含めて校舎が統一されたことのメリットは図りしれないと考えています。それを実現させたのが新校舎。ハード面(設備)が整うことでソフト面(人員)も良くなる。始まったばかりの新校舎、本館。今後がどうなるのか楽しみです。

 

甲野 功

 

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