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~小田原 報徳二宮神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 報徳二宮神社
報徳二宮神社

 

 

今年は3月末6月神奈川県の小田原を訪れました。箱根の手前にあり箱根に頻繁に出かける私は小田原もよく行きます。小田原と言えば小田原城。小田原城の近くにあるのが報徳二宮神社です。今回はその報徳二宮神社を紹介します。

 

報徳二宮神社

 

名称の二宮。これは知っている人はご存知の二宮尊徳のこと。幼少期の二宮金次郎の方が知られているかもしれません。薪を担いで歩きながら本を読んでいる銅像で有名な。二宮尊徳を祭った神社が報徳二宮神社なのです。

 

ここで歴史上偉人、二宮尊徳とはどのような人物だったのでしょうか。二宮尊徳。あるいは二宮金次郎。なお公文書では「金次郎」ですが自筆では「金治郎」としたそうです。

天明7年(1787年)、相模国栢山村(今の小田原市栢山)の農家に生まれました。太平の世、海外からミラクルピース(miracle peace)と言われた江戸時代の中期ですね。家は酒匂川の氾濫により田畑が流されたせいで没落します。過労により両親は亡くなり、兄弟はばらばらに親戚の家に預けられました。二宮金次郎は朝早くから夜遅くまで一生懸命働き、その間に余裕ができれば寸暇を惜しんで勉強をします。銅像のイメージはこの頃の努力ですね。荒地を開墾して収穫を上げ、お金を貯めていきます。質に入れていた田畑を少しずつ買い戻し、24歳で家を再興するのでした。

成人となった二宮尊徳は財政再建と領民救済に取り組みました。小田原藩家老服部家の財政再建、藩主大久保忠真候の依頼により分家宇津家の桜町領の復興、北関東から東北にかけて各藩の農村総合的復興事業(仕法)。二宮尊徳が仕法を手がけた村々は600か所以上といいます。少年期に毎晩読書をするために必要な油代を稼ぐために荒地に菜種を植え、たった一握りの菜種から7〜8升の取り入れにしました。また捨て苗を荒地で丹精こめて育てて秋には一俵の籾を収穫します。このような小さな努力の積み重ねが大切だと学びます。これが積小為大という思想になります。天保の大飢餓が起きた際には藩主の命により二宮尊徳は小田原城内の米蔵を開き、米が人々の手にわたったことで小田原11万石の領内から一人も餓死者も出さずに済みました。また藩の使用人や武士達の生活を助けるために、お金を貸し借りできる五常講をつくりました。これは現代の信用組合と同じものです。二宮尊徳は安政の大獄が起きる直前の安政3年(1856年)に70歳で亡くなります。

 

では神社名称の最初につく「報徳」とは何でしょうか。二宮尊徳の思想や方法論を報徳と呼ぶのです。「万物にはすべて良い点(徳)があり、それを活用する(報いる)」という二宮尊徳の思想に対して、小田原藩主大久保忠真から「汝のやり方は、論語にある以徳報徳(徳をもって徳に報いる)であるなあ」との言葉に由来します。「報徳思想」や「報徳仕法」は没後も彼の子孫や弟子たちに受け継がれ広まっていきました。明治維新前後の幕末、明治初期には二宮尊足の報徳思想の普及を目指した報徳運動が全国に広まります。

 

実在した人物を神として祭るのが神道の特徴。場合によっては怨霊も祭ります。明治27年(1894)4月、二宮尊徳の教えを慕う6カ国(伊豆、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、尊徳を御祭神として生誕地である小田原の小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されます。それが報徳二宮神社です。明治42年(1911年)に本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し現在の姿となりました。

 

小田原城城内にあります。ちょっと目立たないので気をつけて巡っていないと見落とすかもしれません。お堀があり南曲輪の方に参道の大鳥居があります。小田原駅からみると小田原城の裏側になります。どちらかというと小田原城址公園こども遊園地の隣とした方が分かりやすいかもしれません。城の上から路面電車の乗り物が見えます。その南側。歩いていると小さな鳥居と案内があります。城址口鳥居で木製です。伊勢神宮の式年遷宮で出た古材を用いたものだそう。

境内は森と神池があり鬱蒼とした雰囲気があります。

本殿幣殿を新築、拝殿があります。社殿は神明造り(神社建築の一様式)。拝殿礎石は天保の大飢饉で開放した米蔵の礎石が用いられています。

当然ながら有名な薪を背負って歩きながら本を読む二宮金次郎像があります。境内の像は昭和3年(1928年)に昭和天皇即位御大礼記念として寄進されたブロンズ像。これと同じ像は全国の小学校に向けて約1000体も制作されたのですが、戦時中に資源として没収されてしまい、現存するのは報徳二宮神社の一体だけなのです。少年像だけでなく老年期の二宮尊徳翁像もあります。これは兵庫県西宮市報徳学園創立100周年記念として、彫刻家南部祥雲氏に依頼作成された二宮尊徳翁立像10体のうちの1体です。平成21年(2009年)に前報徳学園理事長より寄贈されたものです。

それ以外にも境内には社務所報徳会館報徳博物館きんじろうカフェなどがあります。

 

小田原城城内にはお城以外にも複数の施設があります。その一つが報徳二宮神社。小田原城を訪れたときは立ち寄ってみてください。

 

甲野 功

 

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