開院時間
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先日行われた第35回呉竹医学会学術大会。これは私の母校である学校法人呉竹学園が主催する学校内の学術大会です。現在、東京呉竹医療専門学校、横浜呉竹医療専門学校、大宮呉竹医療専門学校の3校を持つ呉竹学園。その3校が合同で行います。各校に鍼灸マッサージ科、鍼灸科、柔道整復科を持ちます。また東京校のみ鍼灸マッサージ教員養成科があります。各生徒、教職員が集まり学術研究の発表を行います。
私は東京呉竹医療専門学校の鍼灸マッサージ科、柔道整復科、鍼灸マッサージ教員養成科を出ていますが、鍼灸マッサージ科、柔道整復科の2年生時にこの呉竹医学会で学生発表をしています。各科2年生はクラスから1演題研究発表をしないといけません。クラスの誰かが行わないといけないのです。鍼灸マッサージ教員養成科では全員に卒業研究が必須なので呉竹医学会発表の義務がありません。在学中はもちろん卒業後も会場に足を運んでいます。特に昨年は当院に来た学生さんが多数発表することもあり、開会式から閉会式までずっと会場にいました。
今年の呉竹医学会は第35回というキリのいい回数。2年後に呉竹学園は創立100周年を迎えるので呉竹医学会としは今年がメモリアルという感じでしょうか。本医学会では毎年、特別講演を行います。例年は外部の医師を呼んで講演をしてもらうことが多いのですが、今年は記念講演として呉竹学園東洋医学臨床研究所前所長の古屋英治先生が登壇されました。いわば身内です。そのタイトルが『呉竹医学会の変遷と未来への展望』。呉竹医学会設立から35年間の変遷と創立100周年を迎える呉竹学園の教育・研究について話をしました。事情があって私は最後の方しか会場で聞くことができませんでしたが配布資料により、呉竹医学会の変遷と呉竹学園の研究について知ることができました。今の立場があるのは呉竹学園に通ったおかげ。そして呉竹医学会は専門学生という立場ながら研究するきっかけになった場。呉竹医学会の歴史について資料から学びたいと思います。
まず呉竹医学会が設立されたのは36年年前。そして呉竹学園が設立したのは98年前になります。学園発足当時から呉竹医学会があったわけではありません。
大正15年(1926年)に故坂本貢先生が東京四谷に東洋温灸醫学院(現在の東京呉竹医療専門学校)を創立します。建学の理念は「伝統的医療技術の伝承と普及のため、 東洋医学教育の確立と学術の振興を以て国民医療に資する」でした。
昭和8年(1933年)には教員の資質向上を目的として研究活動を開始します。
①鍼灸・温灸療法等の治療効果を明らかにする臨床研究
②教科の教授方法の研究
2つの研究テーマでした。解剖学、生理学といった基礎知識の教授法、治療効果を明らかにする臨床研究から呉竹学園の研究活動が始まります。戦後の昭和20年(1945年)~昭和29年(1954年)頃は日本鍼灸医学会の東京分会で研究活動を行います。
昭和33年(1958年)に坂本武彦校長になり
①東洋医学を西洋医学的手法・評価方法で解明する試み
②古典研究
という東洋医学、古典の研究が始まります。
昭和50年(1975年)に坂本浩二校長が昭和大学医学部薬理学教室教授に就任します。「先天性高血圧ラットを用いた降圧効果」をテーマにした施灸効果の作用機序に関する系統的な研究を開始します。翌昭和51年(1976年)に学校教育法の一部が改正され、専修学校は「特定の職業に必要な知識や技能を提供する」と定義されました。しかし、坂本浩二校長は、研究は大学が担い、専修学校は即戦力を養成する、という一般的な考えを大きく飛躍させ、専修学校による「研究という分野への挑戦」とするスローガンのもとで呉竹学園の研究の更なる発展を目指しました。
平成元年(1989年)、坂本浩二校長の意思を引き継いだ大森義仁校長が呉竹医学会を発足させます。
大正末期に生まれた呉竹学園は激動の昭和を過ごし、時代が平成に変わった1989年に呉竹医学会が設立せれたのでした。この年、第1回学術大会が開催されました。このときは教員の研究発表でした。
平成6年(1994年)の第6回学術大会から学生参加型へ。鍼灸マッサージ・柔道整復の分野ごとの分科会が設置されます。鍼灸で始まった呉竹学園も柔道整復科ができて鍼灸・柔整の両面で研究するようになるわけです。
平成11年(1999年)の第11回では分科会をシンポジウム形式で開催、特別講演にWHO(世界保健機関)事務総長中島宏先生を招聘し「国際保健医療の地球化と国際機関」という演題を講演しました。
平成15年(2003年)の第15回から実技セッションが導入されます。実技セッションとは実技セミナーのこと。鍼灸・柔整どちらもカバーするものです。私が旧東京医療専門学校鍼灸マッサージ科に入学したのが平成16年(2004年)ですので、入学したときには実技セッションがありました。実技セッションは年々効果的となっており、現在は同じことを2回してくれるので見回りやすくなっています。
平成17年(2005年)の第17回は呉竹学園創立80周年記念大会でした。このとき私は鍼灸マッサージ科2年で「耳ツボによるダイエット」について研究発表をクラスメイト2名としています。そのため周囲を気にする余裕がありませんでした。大学では研究はしましたが論文を書かなかったので人生初の学会発表となりました。
平成18年(2006年)の第18回では代田賞受賞記念講演として『「トライアスロン競技後の筋肉痛に及ぼす円皮鍼の効果」-プラセボを用いた比較研究-』を金子泰久先生(現呉竹学園東洋医学臨床研究所所長)が行いました。
平成22年(2010年)の第22回から症例検討会・症例報告会が導入されます。ここで学術大会の基本形が完成します。まだこの頃は大宮校がなく、会場は新横浜の横浜校舎で行われていました。後に大宮校ができて開催が横浜校、大宮校と毎年交互になります。
現在の呉竹医学会学術大会のベースが完成し回数を重ねます。この間、私は柔道整復科を平成23年(2011年)に東日本大震災で混乱する中、卒業し翌平成24年(2012年)に鍼灸マッサージ教員養成科に入学します。平成26年(2014年)に鍼灸マッサージ教員養成科を卒業するも卒業生として呉竹医学会に毎年とは言わないまでも参加するようになります。時代が令和に変わった令和2年(2020年)は新型コロナ感染症蔓延のため、開催中止となってしまいます。外部も参加できるようなると開催曜日が金曜日だったものが土曜日に変更になります。それまでは金曜日に呉竹医学会、土曜日に学園祭(東京校の場合)、日曜日休みで月曜日が振替休日というスケジュールでした。それが現在の土曜日に呉竹医学会を開催するようになりました。そして今年令和6年(2024年)に第35回を迎えました。平成と同時に始まった呉竹医学会は30年を経て令和にもあります。
坂本歩呉竹学園理事長、横浜呉竹医療専門学校校長による呉竹学園のIdentityは以下の6つ。
①学校教育は単なる知識や技能の習得だけではない
②近代学問が研究をベースに成り立っていることの理解
③教育する側、される側の双方が研究を理解する
④自らが研究発表を通して深く探求する姿勢を持つ
⑤この成果を教育に生かすことで質の高い教育になる
⑥東洋医学の理念を理解する
呉竹医学会を通して呉竹学園の研究と教育は形となって残っています。
甲野 功
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