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電話:070-6529-3668

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~京都天龍寺 宝厳院~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 京都天龍寺宝厳院
京都 天龍寺塔頭 宝厳院

 

 

京都五山第一位の名刹、天龍寺。格式の高さもありますがその境内は広大です。現在はかなり狭くなったようですが今でも相当な広さを誇ります。その境内にある塔頭寺院に宝厳院があります。塔頭(たっちゅう)とは、禅宗寺院で祖師や門徒高僧の死後、その弟子が師の徳を慕い大寺・名刹に寄り添って建てた塔や庵などの小院のことです。宝厳院だけでも相当な規模です。

 

大亀山 宝厳院 - 臨済宗大本山天龍寺塔頭寺院

 

臨済宗天龍寺派・大本山天龍寺の塔頭寺院、大亀山宝厳院。

室町時代の寛正2年(1461年)に、室町幕府の管領であった細川頼之の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。当時は現在の京都市上京区の位置にあり、広大な境内を有した寺院でした。応仁元年(1467)から文明9年(1477年)の間にあった応仁の乱により宝厳院は焼失してしまいます。その後、天正年間(1573年~1591年)に豊臣秀吉より御朱印料三十二石を付与され再興します。明治時代に河川工事のため天龍寺塔頭弘源寺に移転。平成14年(2002年)に現在地を購入して移転再興します。旧塔頭寺院跡)に移転再興いたしました。この場所はもともと天龍寺塔頭妙智院でした。妙智院は元治元年(1864年)7月の禁門の変で天龍寺と共に焼失すると、天龍寺の勅使門の南側に移転したのでした。天龍寺は幕末に起きた禁門の変と大きな関係があります。ここでもエピソードがありました。現在の地は総門をくぐって正面を進み、左側に進んで桂川の方にあります。通りの向かいには嵐山羅漢があります。

 

御本尊は十一面観音菩薩。脇仏には三十三体の観音菩薩が。また足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祭られています。足利尊氏といえば室町幕府を開いた初代将軍。先日アニメ化して人気がでた『逃げ上手の若君』で主人公北条時行の宿敵として描かれております。京都のお寺は足利家と縁の深いものが多いですね。

 

宝厳院の見どころは何といっても庭園です。室町時代の禅僧策彦周良禅師によって作庭され、嵐山を借景として巧みに取り入れております。「獅子吼の庭」の名がついています。獅子吼とは「仏が説法する」という意味。「獅子岩」等の巨岩を配した借景回遊式庭園です。江戸時代の京都にある名所名園を収録した『都林泉名勝図会』にも掲載されるほど。巨大な岩が点在しており、枯山水庭園とは異なる荒々しい感じが特徴です。岩に生えた苔の姿。岩から生えている破岩の松。他では見られない光景がそこにあります。宝厳院の庭園や建物は時代劇の撮影でよく利用されるといいます。

 

またもともと紅葉の名所として有名だった庭園。毎年秋に特別拝観が行われてきました。そこに平成18年(2006年)、京福電鉄が赤く染まってなくとも青いままでも美しいことに気付き、初夏の紅葉を「青もみじ」と称してキャンペーンを行いました。これ以降、「青もみじ」という言葉が広まっていきます。つまり宝厳院は「青もみじ」発祥の地であるのです。

 

本堂は平成20年(2008年)に再建されたもの。女性画家田村能里子の作による襖絵「風河燦燦三三自在」58枚があります。女性画家が寺院の本堂の襖絵を手掛けた例は田村氏が初めてになります。主に朱色が全面に使用されており、寺院の襖絵では珍しいもの。書院は大正8年(1919年)の建築。日本郵船の重役だった林民雄氏の別荘時代の建物であり、宝厳院がこの地に移転してからは仮本堂として使用されていました。大正から昭和初期の数寄屋建築の黄金期に建てられたもので、そのなかでも近代数寄屋建築の礎となる建物とされています。当初は取り壊す予定だったが、建造物としての価値が認められ保存されました。茶席「青嶂軒」も書院同様大正時代の建物で、近年に修復されました。

 

天龍寺とはまた別といってよい規模と風格を漂わせる寺院。これから紅葉の季節になると夜間ライトアップも始まるそう。初夏は青もみじ。庭園は必見です。

 

甲野 功

 

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