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本日スクウェア・エニックス社がHD-2D版リメイク『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売されました。
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ドラゴンクエストIII。通称ドラクエ3。元々はファミリーコンピュータ(ファミコン)で発売されました。ファミコン版が発売されたのが1988年。昭和63年です。翌年には平成元年となるまさに昭和末期。このときのドラクエ3販売は社会現象となる騒動となりました。そのときの様子が分かる記事がこちらに。
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凄い人気だったのです。
まずドラクエとは何かを説明しましょう。当時エニックスだったメーカーが発売したファミコンソフト『ドラゴンクエスト』。本格的な初のRPG(ロールプレイングゲーム)でした。ドラゴンクエストが発売されたのが1986年(昭和61年)。当時はここまで有名ではなかった故鳥山明氏がキャラクターデザインをし、当時既に有名であった故すぎやまこういち氏がゲーム音楽を担当しました。鳥山明といえば言わずと知れたドラゴンボールの作者で世界的に有名です。今年行われたパリオリンピックでは今年鳥山明氏が亡くなられたこともあり、ドラゴンボールに関するパフォーマンスが多かったです。かめはめ波は世界共通となっています。音楽家すぎやまこういち氏もコロナ禍により1年延期された東京オリンピック2020の開会式で演奏された「序曲:ロトのテーマ」はドラゴンクエストのために作曲されたものです。このお二人が制作に携わった奇跡のようなソフトです。シナリオを堀井雄二氏が担当、ディレクターを中村光一氏を務めました。
ドラゴンクエスト発売時の時代背景というとバブル経済にわく1986年。ファミコンが小学生の遊びに必須となっていました。1977年生まれの私は直撃世代でファミコンが家にないと話にならないような状況でした。ブームの火付けは任天堂の『スーパーマリオブラザーズ』。こちらも世界的に広まった作品でハリウッド映画にもなっています。コントローラーで操作するソフトばかりだった時代にRPGという文化を持ち込んでファミコンに革命を起こし、家庭ゲームを産業に押し上げたフロンティアが『ドラゴンクエスト』でした。RPGの登場により、操作が下手な子どももファミコンが楽しめるようになります。私がまさにそうで昔から動体視力がいい方ではなく、シューティングゲームやアクションゲームは得意ではなかったのです。ドラゴンクエストはシナリオがあるので横で見ているだけでも楽しめました。アクションは操作する人しか楽しめませんが、ドラゴンクエストは集まってそれを眺めるだけもいいので、順番の取り合い・奪い合いが無くなったと言えます。
その翌年1987年に『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』が発売されます。主人公が3名になり、仲間が途中から増えていく。敵も複数名出てきて、ドラゴンクエストの1対1の戦いから多数対多数に変化します。また異常に難しくて本当にみんなで乗り越えるソフトでした。全くヒントのない落とし穴があり、1マスごとに落とし穴の場所を絵にかいてチェックしていました。攻略本が発売されるようになり、プレイヤー以外に本で調べる役割も必要になります。さらに「ふっかつのじゅもん」というパスワードが52文字と非常に長い。ぜんぶ平仮名で濁音もあります。それがランダムに並ぶのです。一言一句メモしないと次回情報を読み出せません。複数名で文字列を紙にメモし、更に復唱してチェックしていました。この時代を経験した小中学生はきちんと見直すという癖がドラゴンクエストⅡによって身につきました。
今では考えられない3年連続の発売となります。例のドラクエ3が1988年に発売します。1と2でその期待値が大きくなったドラクエ3。ドラクエ1の100年後の世界を描いたのがドラクエ2。それがドラクエ3は1の過去編を描いています。そのシナリオに誰もが驚きました。“そして伝説へ…”というサブタイトルはこういう意味だったのか!と。やる前から注目され、やってみたら想像を超える内容。現代によくある剣と魔法の異世界ものはドラクエ3の存在なしにはなかったことでしょう。発売日の2月10日(水)は学校をズル休みをして店頭に並ぶ子供が現れて問題になったといいます。池袋では長蛇の列ができたそう。
このドラクエ3発売騒動。その渦中に私もいました。
1988年2月。当時小学4年生だった私。御多分に漏れずドラクエ1、2を楽しんでいました。噂のドラクエ3を保育園から幼馴染の同級生が買うといいます。小学校をズル休みすることは無かったのですが発売翌日の2月11日(祝)に2人で新宿に行きました。もちろん都営大江戸線はない時代。都営バスに乗って。当時は小学生運賃90円で気軽に新宿にいけました。今でもそうですがヨドバシカメラにビッグカメラ。大規模量販店に伊勢丹、小田急、京王とデパートとドラクエ3が売ってそうなお店が多数新宿にあります。スマートフォンもインターネットもない時代。どこでドラクエ3が売っているのか情報がないまま小学生2人は新宿をさまよい歩くのです。
新宿区民の小学生には新宿は近場の繁華街。今ほど危機管理もない頃。小学生だけでうろうろしていてもさほど問題ありませんでした。ただどこにもドラクエ3は売っていません。社会問題になるほどだったので店頭においていない。既に売り切れていることも。それが本当にそうなのかは小学生には判断ができず。混乱を防ぐために整理券を配布しているらしいということは知っていたのですが、どこでその整理券がもらえるのかが分かりません。今ならスマホですぐに調べることができるのでしょうが、もちろん当時はできず。子ども二人で聞き込み、歩き回って探すのです。リアルRPGです。
そこで目に入ったのが長蛇の列。大人の男ばかりずらっと並んでいる姿が目に入りました。これだろうと思った私たちは列に並びます。順番がくれば整理券がもらえるのではないかと期待して。ところが。列の先にあるものを確認するとそこは映画館。実は映画『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』の初日公開日でした。実写ドラマスケバン刑事Ⅲが大ヒットしていた時代。映画版が作られていたのです。本当はもう少しあとに公開予定だったらしいのですがあまりの人気に公開を前倒したということを大人になって知ります。スケバンという死語。そもそも多様性が尊重される時代にもう使えないような気がします。女子高生の番長(スケバン)が警察組織に入り特別捜査をして鋼鉄製のヨーヨーで悪の組織と戦うというストーリー。その話を子ども達にしたらそれはギャグマンガ?と言われました。更に原作を改造してⅡでは幼少期から鉄仮面を着けられて育った土佐弁を話す女子高生が主人公に、Ⅲでは忍者の三姉妹という設定になっていました。原作とかけ離れすぎた内容は令和の現代では大問題になることでしょう。知らぬ間に映画スケバン刑事の初日挨拶で登壇するアイドルを観るために映画館に並ぶ小学生になっていたのでした。早めに気が付いて列を外れ、事なきをえました。
余計なことに時間を取られてしまい、再びドラクエ3を探すことになった私達。知っているところを当たっても販売はしていません。前日の騒動があったせいで混乱を防ぐために隠しているのでしょうか。そう考えながらアルタ前あたりをうろうろしていると。見知らぬお兄さんが声を掛けてきました。記憶が定かではないですが私服で大学生くらいだったと思います。
「僕たち、ドラクエ3欲しいの?」
絵に描いたような怪しい台詞なのですが、朝からドラクエ3を探し回っている小学生には、素直に「はい」と応えるのみ。知らない大人に声を掛けられても絶対についていくなと学校でも家庭でも言われていました(ちなみに私の母親は当時小学校の先生)。警戒しつつも会話くらいならと。すると謎のお兄さんは紙を渡してきて、「これをもってそのビル〇階に行きな」と言いました。これは何かの罠か?と身構えました。新宿区に育ち歌舞伎町が身近にある小学生は警戒心があります。友達とこれ大丈夫かなと不安になりながらも言われた目の前のビルに入り階段で〇階にいきました。電子マネーなど概念もなかった時代。数千円の現金を小学生が持っています。警戒していました。そこはファミコンソフトが売っているような売り場ではなかったです。レジのお姉さんに渡された紙を見せると。なんと奥からドラクエ3のソフトを出してきたのです。こんなところでドラクエ3を売っているなど考えられない環境。他にお客さんはいませんでした。まさか本当に買うことができるとは。リアルRPGです。
ドラクエ3を買いたくてあてもなく新宿の街並みを探し回り。途中間違えて『スケバン刑事』の列に並び。謎のお兄さんに声を掛けられて。指示通りに進むとドラクエ3を手にいることができた。嘘のような体験でした。
喜んで帰宅した私たちは友達の家でドラクエ3をプレイしたのでした。
リメイク版ドラクエ3発売のニュースをみて思い出しました。
甲野 功
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