開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
11月24日の日曜日。その日は早朝からスーツに着替えてりんかい線東雲駅に向かいました。東京有明医療大学で全日本鍼灸学会関東支部・日本鍼灸師会関東甲信越ブロック合同学術集会に参加しました。入場受付を待ち、開会式から閉会式まで。お昼もランチョンセミナーがあったのでほぼ休みなく会場で過ごしました。16時過ぎに閉会すると再び東雲駅から治療院に戻ります。スーツから私服に着替えて平和島に向かうのです。学会後にイベントに参加しました。それが『東洋医学について語るFIRE ~焚き火は観るお灸~』でした。場所は東京都大田区にある平和島公園キャンプ場。あじさい鍼灸マッサージ治療院(牛込柳町)→東京有明医療大学(東雲)→あじさい鍼灸マッサージ治療院(牛込柳町)→平和島公園(平和島)という移動となりました。東雲から直接平和島に行けばいいのですが、平和島公園で行うのは焚き火。革靴にスーツで参加するわけにいきません。移動が面倒ですがやはり着替えたいのです。そもそも焚き火イベントに出なければいいのでは、という考えもありました。当初は16:00頃から開始予定で最初からは間に合わないのでやめておこうと考えたのですが、学会からの参加者もいるだろうということで19:00開始に変更になりました。そうなると参加できるなという気持ちに。実際に私を含めて4名、東京有明医療大学から連続で参加した人が確認できました。
この『東洋医学について語るFIRE』。鍼灸師のゆうせい先生らが今年から始めた『東洋医学について語るBAR』から派生したもの。蒲田のバーで主に鍼灸師が集まるという企画。ここからコアメンバーができて『鍼灸学生&プレ学生BBQ交流会』が先月新宿で行われました。ここに参加したメンバーがさらにスタッフとなり今回のFIREになりました。
最初の蒲田、今回の平和島。大田区はこれまで縁のないエリアであまり訪れたことがありませんでした。羽田空港を利用したときくらいしか記憶がありません。大の飛行機嫌いですから羽田空港もまず利用しないですし。平和島という場所も土地勘がありません。平和島公園までは大森駅からバスに乗るか平和島駅から歩くかという選択肢で私は大江戸線→三田線→浅草線という都営地下鉄ルートを選択しました。大学時代に競技会で何度も訪れた青物横丁を通り過ぎて。
平和島駅からは地図アプリを使用し住宅街で少々迷いながら平和島公園に到着します。時刻は19:00を周っていて日が暮れています。公園に入ってからキャンプ場を探します。公園内は小高い丘もあって案内板も見えにくいです。火の匂いを頼りに進みます。そもそも東京23区でこれだけ駅近くにキャンプ場があるのだなと思いました。途中、別のグループでした、ということを経て現地に到着します。もちろん暗いので遠目には顔が分かりづらく、反対にスタッフメンバーに気付いてもらいました。
前々からよく知っている人から2、3回目の方、初対面の方がいて、また途中参加だったので流れに乗れず当初は何となく見守っていました。焚き火の場所は3か所。1か所は水場があり屋根があり照明もあるところです。参加者がジビエの鹿肉を持参してくれました。よく焼かないと危険なので明るいところで調理をしましょうという。他2か所は夜空の下です。私は学会からの参加で手ぶらでしたが、皆さんは様々なグッズや食料品を持参していました。更に薪や食材は近くの商業施設で買い出しにいけるという好条件です。
前回のバーバーキューと異なり火の管理、食材の調理などやることが多くなります。そうなると自然と役割分担ができます。持参したアイテムでその人の意気込みが垣間見えます。食材、調理した品、キャンプ道具、一眼レフカメラ、などなど。そのこだわりから立ち振る舞いも繋がるようです。特性のお茶をつくる。ジビエの肉を焼く。寒空でカップラーメンを食べる。手作り料理を振舞う。高級な食材を持ち込む。それぞれの準備、こだわりが垣間見えました。なお無防備、ノープランだった私は流れに身を任せるだけ。
少し時間が経つと調理場へ。ジビエの肉をしっかり焼くという。血がしたたる鹿肉、猪肉を明かりのあるところで焼きます。まな板で肉を切り分け焚き火へ。当たり前ですが感染症に気を付けます。私はゴミの管理をしながら皆さんのサポート役に。調理が得意でない私が下手に手を出さない方がいいだろうという気持ちで。ここでは初対面の人も多かったので自己紹介をすることが多かったです。日中はスーツを着て鍼灸関係者だらけの中、発表を聴いていたのに夜は生の鹿肉がしっかり焼けているかを見ているというギャップです。
その後は野外焚き火ゾーンに移動して食事や歓談。参加者が持参した食べ物をいただきました。
さて。私は高校時代、山岳部でした。テントや食料、水を担いで山に入り自炊し泊まる。そのような経験があります。そのためこのようなイベントは苦手ではありません。山岳部ときは効率重視だったのでレトルト食品ばかり。調理が簡単で安全なものに。自分自身で持ち歩くので野菜など重たくなるものはほとんど食べませんでした。反面、準備や後片付けのことを考える思考があります。終了時刻から逆算して片付け開始時間を想定。そうなると食材が余ることを考えてしまいます。ゴミは持ち帰りです。帰りに食材が余ることはかなり辛いわけです。特に生もの。何となく手をつけなくなって残っているものを中心に食べていくということを始めていました。段々食事が終わってきて手が止まっている雰囲気がありました。私はお酒を飲みませんが、飲みだすと食事がひと段落するものです。足りなくなるより余る方が後が大変だと考えているので残りそうな食べ物を食べながら周囲と話をしていました。
更に余って大変なものは薪。持ち帰って利用できる人は少ないでしょうし何より大きくて重たい。持ち運ぶのが大変です。最後の方は余りそうな薪を燃やすことに専念していました。実は子供の頃から焚き火をたくさんしていました。今では信じられない話ですが幼少期は新宿区で焚き火ができて、自宅の庭でよく焚き火をしていました。父が燃やせるものは燃やしてしまおうという考えで。焼き芋もよくしました。昭和時代まではできたのです。火柱が2mくらいになることもありました。平成に入るくらいになると火事だと通報されるようになりやらなくなりました。それでも父はぎりぎりまでやりたかったようで簡易焼却炉を買っていました。なお使用されたことはありません。また昭和の頃、新宿区立小学校は課外活動で飯盒炊さんを飯能の川沿いでやりました。焚き火をして米を炊き、フライパンでおかずを調理します。今はやらないようですが素養として焚き火をすることを当時の小学生はしていました。
というわけで、焚き火で燃やすのは得意でした。最後の方は延々と薪や使用済みの割りばしなどを燃やし続けました。その間に周りの方々は手際よく片付けを進めていました。このようなときに人の立ち振る舞いがわかり感心します。残ったお茶やライト、食材の一部などを率先して引き取りました。山岳部の経験で重たいものを持ち運ぶのは苦ではないので、こういうときはもらうようにしてしまいます。
焚き火をしながら開業鍼灸師と学生さんと話をしました。卒業後のこと、経営のこと。学生さんにとっては学校の勉強や鍼灸知識を通り越して経営の話が多く。どうするのか自分事にして聞いているようでした。他にもこのイベントでないと合わない参加者が多数いて見識が広がります。レストランやパーティー会場のような環境が整っている場ではなく、個々で作っていかないといけない焚き火、キャンプという状況ゆえに様々な人が集まりますし、見えてくるものがあります。それが日中の大学で行われた学会との対比が激しく。一日で異なったシチュエーションのイベントに参加して、刺激的で交流が広がりました。もともとこういうものが好きな人種なのでまた参加したいものです。企画、実行に移してくれたスタッフの皆様ありがとうございました。
甲野 功
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