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~京都 城南宮~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 京都 城南宮
京都 城南宮

 

 

今年の京都訪問では各所の神社を巡りましたが、最後に訪れたのが城南宮です。

 

城南宮

 

超有名観光地の京都にあってその名前を知っている人は多くないのではないでしょうか。私もここ1年くらいで知りました。京都には何度も行っていますがまだまだ訪れたいところ、もう一度見ておきたいところがたくさんあります。それも神社仏閣のみで、他の観光スポットを入れたら無数にあります。その中でも優先的に訪れたそれまでその存在すら知らなかった城南宮。城南宮は京都五社の一つだということで気になったのです。京都五社についてはまた別の機会に触れますが、東京十社東京五社を巡ってきた私には気になる存在。奇しくも他の京都五社には足を運んでいたので最後の城南宮を行ってしまおうという考えでした。

 

城南宮は京都の南側にあります。その名前のとおり、京都駅からみて南。駅でいうと竹田駅が最寄りでしょう。正直な感想として城南宮周辺は活気があるという感じはせず、お店や商業施設はまばらでした。観光公害(オーバーツーリズム)の代表格とされる京都においても人通りが少なく、外国人観光客(インバウンド)が大勢歩いているということはありませんでした。余談ですが行きは地下鉄竹田駅から歩いて城南宮に向かいましたが、帰りはバスを使おうと思いました。ところが1時間以上バス停で待つことが分かり、歩いて別路線のバス停を探しました。するとマップアプリに掲載されているバス停は無くなっていて、結局徒歩20分ほどかけて再び竹田駅に戻ることに。京都でもエリアによっては混雑していないという事は分かっていましたが、これはかなり意外でした。

 

さて城南宮があるのは京都市伏見区。近くにはかの有名な『鳥羽伏見の戦い』跡があります。鳥羽伏見の戦いとは幕末の明治新政府群と徳川幕府軍の戦です。この鳥羽伏見の戦いで幕府軍が破れ明治維新へ歴史が加速して動いていきます。幕末の日本史が好きな私は、ここがあの、という気持ちです。現在は平地が広がっていて山に囲まれた京都において平野部での戦だったのだと分かります。一方、京都御所や二条城といった中心地から避けた場所。平等院がある宇治のような平安の頃から別荘地だったところとも違う。絶妙な位置にあったのだと考えました。

城南宮は「方除の大社」として知られています。興味を持ったきっかけの京都五社は四方すなわち東西南北に加えて中心を入れた5か所が配置されています。南の要が城南宮というわけです。主祭神は城南大神で具体的には八千矛神(やちほこのかみ)、息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)です。八千矛神は大国主命の別名で、息長帯日売尊は神功皇后の別名であります。延暦13年(794年)平安京遷都の際に、都の安泰と国の守護を願い、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祭り城南大神と崇めたことが創建と伝わります。城南宮の意味は“平安城の南に鎮まるお宮”となります。平安時代後期、白河上皇鳥羽上皇によって城南宮を取り囲むように鳥羽離宮(城南離宮)が造営されて院政の拠点とります。すると離宮の鎮守として城南宮は一層崇められ、2km²にも及ぶ離宮は政治・文化の中心となり大いに賑わいます。承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は朝権を回復すべく挙兵し鎌倉幕府と戦い『承久の乱』を起します。このとき後鳥羽上皇は「流鏑馬揃え」を城南宮で催すのですが、討幕するための兵を集結させる口実でした。その後、京都でおきた『応仁の乱』などの戦乱で荒廃しますが江戸時代になって復興されます。江戸時代には「大日本不易太大神宮」と尊称されます。江戸時代の終わり文久3年(1863年)に孝明天皇の攘夷祈願の行幸がありました。維新側の討幕軍は徳川幕府に対して天皇側である証明となる「錦の御旗」を掲げて戦いました。先に紹介した『鳥羽伏見の戦い』は城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まります。天皇を味方にするという意味でここが討幕のきっかけになったと言えるでしょう。この戦に勝利した薩摩軍は、城南宮の御加護によって勝利を得られた、と御礼参りに訪れたのでした。

 

明治維新が成り明治時代にはいった明治10年(1876年)に社名を「真幡寸神社(まはたきじんじゃ)」に改称しました。しかし昭和にはいった昭和43年(1968年)に再び城南宮に社名を戻し、真幡寸神社はその境内摂社として境内に新たに社殿を設けて奉祀されることになります。昭和52年(1977年)には本殿が焼失するのですが、翌年昭和53年(1978年)には再建されます。現在ある本殿はこのとき再建したものです。近年では転居、旅行の厄除けが転じて交通安全の神としても広く信仰されています。

ここで一度社名が変更された真幡寸神社とはいったい何でしょうか。御祭神が真幡寸大神と応神天皇でかつては京都の深草にありました。創建は神功皇后摂政3年(203年)、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神の神霊を添えて奉斎したのに始まると伝わります。ここで城南大神である八千矛神(大国主命)、神功皇后(息長帯日売尊)が関係していることがみられます。永享10年(1438年)に京都藤森の地にあった真幡寸神社を現在の場所に遷座しました。そして城南宮と同一化され社名が変わるも昭新43年に新たに境内摂社として真幡寸神社が作られたのでした。竹田駅側歩いてくると東鳥居が現れ、参道(城南宮道)を少し進むと右側にあります。

 

城南宮はなかなか不思議な境内となっています。東鳥居をくぐり城南宮道を進むのですが左右を囲いに囲まれているのです。手水舎と鳥居が右手に現われるとここから本格的な境内になるとわかります。この手水舎から「菊水若水」という霊験あらたかな名水が出ています。江戸時代の初めに霊元法皇がこの菊水若水を飲まれると痛みが治ったという記録があります。本殿の正面にある赤い鳥居は「城南宮鳥居」と呼ばれています。形状が神明鳥居という分類に属しますが、柱下に饅頭があり棟の部分に島木・笠木を重ねてさらに屋根を葺き、その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている、というよく見ると変わった様式です。鳥居に詳しい人だと興味深いものです。

城南宮鳥居をくぐると正面に神楽殿があります。これは平安時代の貴族の邸宅である寝殿造りを模した御殿となり、平成8年(1996年)の建築。まだまだ新しいです。桧の素木造りで、化粧屋根裏という天井を設けずに屋根の裏の垂木を見せる伝統的な工法。

神楽殿の先に立派な本殿があります。前殿・向拝・翼廊からなる素木造りの社殿。平安時代後期の建築様式で作られており、先に述べたように昭和52年に焼失し、昭和53年(1978年)に再建されたもの。

他にも摂社、末社があります。これらは境内にある小さな社で、本社に附属する神社。本社の管理のもとにある小規模神社を摂社・末社と呼び、特に本社との由緒の深い神社を摂社とします。城南宮の摂社としては先に紹介した真幡寸神社、城南宮鳥居の後ろ側(南側)、城南宮道を挟んだところにある三照宮社(御祭神は天照大御神)、城南宮道右側で手前にある芹川神社(別名、唐渡天満宮。御祭神は菅原道真。)があります。そして本殿に末社として稲荷社、厳島社、住吉社、兵主社、粟島社、天満宮社、妙見社、金刀比羅社、庚申社、大国主社、春日社の七社があります。

 

そして何より目を見張ったのが神苑『楽水苑』です。神社にある庭園で同じ京都にある平安神宮にも広大な神苑がありました。平安神宮神苑は社殿を3方から囲むようにありました。城南宮の神苑には城南宮鳥居をくぐり参道の左側にある入り口へ進みます。ここからぐるっと本殿を360°囲むように神苑『楽水苑』があり、途中城南宮道に出て再度入り口を通って周るのです。拝観料が必要で2度チェックされます。この楽水苑を作庭したのが昭和の小堀遠州と讃えられ配石の素早い天才造園家の中根金作氏。金閣寺や天龍寺など京都の古庭園の調査・保護・修理をした人物です。楽水苑は5つのエリアに分かれています。まず入り口を進むとあるのが「春の山」エリア。白河上皇が城南離宮を築く際に、『源氏物語』に描かれた光源氏の六条院をモデルにしたといわれています。本殿の裏側を進んでいくと「平安の庭」エリアになります。平安時代の貴族の邸宅、寝殿造りの庭をモデルにしています。池があります。一度出て城南宮道を渡り入り口を通り右手に進むと「室町の庭」エリアになります。室町時代の様式でつくられた池泉回遊式庭園です。ここにも池があり、その中央には不老長寿を象徴する松が生える蓬莱島があります。続いてが「桃山の庭」エリア。枯山水様式の庭園で安土桃山時代の豪壮な気風を反映しています。最後が「城南離宮の庭」エリア。平安時代後期の様子を表す枯山水の庭園で平らな石を敷いた苑路が鴨川を、敷き詰められた白い石が離宮の池を、緑の草が陸地を、そして岩組みが殿舎を、表しています。このように5つのエリアがあるのが城南宮神苑『楽水苑』なのです。中根金作氏が造園家として初めて手掛けた庭園が「室町の庭」と「桃山の庭」なのです。その後「平安の庭」と「春の山」を。晩年に「城南離宮の庭」の作庭をしました。庭園散策としても見どころがあります。

 

そして楽水苑は『源氏物語』に描かれた80種あまりの草木が植栽されており、“源氏物語花の庭”と言われています。理由は繰り返しになりますが、『源氏物語』の作中で主人公・光源氏は四季の庭を備えた大邸宅「六条院」を造り、季節の移り変わりを愛で様々な遊びを行います。白河上皇がこの六条院に触発されて、院政の拠点となる城南離宮の造営に取り組んだと伝わります。そのため『源氏物語』ゆかりの花を随所に植栽しているのです。現在放送している大河ドラマ『光る君へ』は源氏物語の作者紫式部の物語。注目されるところでしょう。

 

他にも城南宮は一寸法師や参詣道と関りがあります。

 

神社仏閣を訪れると付随する歴史も学ぶことができます。清水寺、金閣寺、伏見稲荷大社などの超有名スポットではありませんが、歴史のある重要な場所であった城南宮。あまり知られていない穴場とも言えるかもしれません。無理をして行ってみて良かったです。

 

甲野 功

 

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