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~増上寺~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 増上寺
増上寺

 

 

大晦日のテレビ中継によく映るのが港区芝の増上寺です。弐年参りをする参拝客が大晦日の深夜に大勢訪れる様子が画面から見えます。東京タワーの近くにあり、夜景に映える東京タワーを背景にした境内が撮影されています。ずいぶん前に境内で行われたミャンマー関連イベントで訪れたのが初めてでした。名前は聞いたことがありましたが広い境内と巨大な東京タワーが近くに見える不思議な光景だと思いました。後年、用があって近くを通ったときに改めて境内を散策しました。

 

大本山増上寺

 

増上寺は浄土宗七大本山の一つです。まず大本山とは何か。大本山とは総本山に次ぐ寺格の寺で、所属の寺院を総括する立場にあります。では総本山はどこか。浄土宗総本山は、私が京都旅行中に偶然みつけて訪れた知恩院です。もともと行く予定ではなかったのですが歩いていると非常に立派な門が見えて入ってみるとそこが知恩院でした。その知恩院が浄土宗総本山で、その他に7つの大本山があります。増上寺は7つある大本山の一つなのです。他の6つは、金戒光明寺(京都府)、知恩寺(京都府)、清浄華院(京都府)、善導寺(福岡県久留米)、光明寺(神奈川県鎌倉)、善光寺大本願(長野県)です。この中では鎌倉の光明寺を訪れたことがあります。格式がある増上寺です。

 

それでは浄土宗とはどのようなものでしょうか。浄土宗は法然上人が開いた仏教の宗派です。法然は長承2年(1133年)、美作国(現在の岡山県)に生まれました。9歳の時に出家し京都の比叡山で修業します。比叡山も数年前に私は行きましたが、名立たる名僧が修業し、各派の開祖となっています。法然もその一人です。43歳の承安5(1175)年に浄土宗を開きます。浄土宗は"救いは念仏を称えることで得られる"という専修念仏の教えを中心としていました。浄土宗は全国に浸透しましたが、伝統的な他派の強い反感も招き、法然は建永2年(1207年)年に讃岐国に流罪となります。その後、建暦元年(1211年)に京に戻りますが、翌年、亡くなります。法然の死後も浄土宗は弟子たちの布教によって発展していき、室町時代には浄土宗の伝法制度を確立した了誉聖冏上人(浄土宗第七祖)へ、そしてこの増上寺の開山である酉誉聖聰上人(浄土宗第八祖)へと伝えられていくのです。

 

増上寺の正式名称は三縁山広度院増上寺。浄土宗大本山の寺格で本尊は阿弥陀如来南無阿弥陀仏です。室町時代の明徳4年(1393年)に浄土宗第八祖酉誉聖聰上人によって開かれました。最初は武蔵国豊島郷貝塚(現在の千代田区平河町から麹町)にあったと伝えられています。元々真言宗の光明寺だったのを酉誉聖聰の時に真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めたといいます。浄土宗正統根本念仏道場であり関東の浄土宗教学の殿堂としてありました。

徳川家康が関東を治めるようになって間もない天正18年(1590年)に徳川家の菩提寺として選ばれます。それは徳川家康が当時の住職、源誉存応上人に深く帰依したからと伝わります。江戸時代になる直前の慶長3年(1598年)に増上寺は江戸城拡張に伴い現在の芝に移転します。これは江戸城の鬼門(北東の方向)を封じるために寛永寺を置き、裏鬼門となる方角に増上寺を置くことで呪術的な守りをするための街づくりだとも言われています。その後、徳川家康は征夷大将軍となり江戸幕府を開きます。徳川家の菩提寺として増上寺は発展していくのです。徳川家康は元和2年(1616年)に増上寺で葬儀を行うようにとの遺言を残し75歳で亡くなります。関東十八檀林の筆頭でした(檀林とは学問所及び養成所のこと)。増上寺には6名の徳川将軍が眠る墓所があります。それは2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂です。初代家康が日光東照宮、3代家光も日光で2代秀忠が増上寺です。そして幕末の混乱を生き若くして病死する14代家茂の墓も増上寺にあるのです。また各将軍の正室、側室のお墓もあります。徳川家の菩提寺に相応しいでしょう。江戸時代中期の増上寺は広大な敷地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が並ぶとても大きな寺でした。3000人以上の学僧の念仏が全山に鳴り響いていたそう。

しかし何度も火災に遭っています。江戸は大火が何度か起きており増上寺は何度も延焼してきました。明治に入っても放火により大殿が2度に渡り焼失。大正時代に再建するも昭和20年(1945年)、第2次世界大戦空襲によりほとんどの建物を焼失してしまうのです。昭和49年(1974年)にやっと大殿再建を果たし、昭和、平成と次々と再建、建立をしていきます。平成21年(2009年)年に圓光大師堂と学寮、平成22年(2010年)に安国殿を建立。平成23年(2011年)は法然上人が入滅されてから800年の法然上人八百年御忌を迎えるのでした。

 

浄土宗と関係のない面でも増上寺は関わりがままあります。東京タワーを建築する際には墓地の一部を提供しています。都営大江戸線では大門駅という名称を採用していますが、この大門とは増上寺の旧総門のこと。最近では故安倍晋三元内閣総理大臣の告別式を執り行ったのがこの増上寺です。

 

このように歴史と伝統のある増上寺。特に徳川家と関連が深く、破壊と再生を繰り返しながら現在の港区にいまだ広大な境内を有しています。その中には様々な文化財としての建築物が点在しています。超巨大現代建築の東京タワーを視界に入れながら歴史的建造物があるのが増上寺です。

 

甲野 功

 

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