開院時間
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電話:070-6529-3668
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
以前、富岡八幡宮と深川不動尊を紹介しました。この2つの寺社はとても近くにあり関係が深いです。門前仲町駅から深川不動尊へ向かう途中の道に挟まれるように小さくあるのが永大寺です。お地蔵さんがたくさんあります。小さいながらも存在感があり参拝者は多いです。富岡八幡宮、深川不動尊に続く3つめの存在、永大寺。今回はこの永大寺を紹介します。永大寺のホームページは見つからなかったのでWikipediaのページを参考に。
永代寺は高野山真言宗の寺院です。そうお寺です。お寺なので開山(創建)は江戸時代初期の寛永元年(1624年)。長盛法印により(当時このように呼ばれていた)永代島に創建されました。しかし、長盛法印は元々、富岡八幡宮をこの地に創建しました。富岡八幡宮の別当寺として永大寺があったのです。富岡八幡宮は神社です。神道の神社と仏教のお寺。本来宗教が異なる施設なのですが、神仏習合といって融合させてきました。ですから神社とお寺がセットになっている(同じ境内にある)ところは全国各地にあります。富岡八幡宮の創建も寛永元年ですから別当寺の永大寺も同時に創建されたようです。当時は広大な寺院だったといいます。駅名として残る門前仲町という地名は永大寺の門前ということです。
江戸時代までは神社とお寺の区別が曖昧だったのですが、明治維新が成ると神仏分離令が出され神社とお寺を分ける国策が出されます。それに伴い廃仏棄釈という仏像や寺院を取り潰す動きが現れます。これは国家神道として国をまとめ富国強兵政策により西欧列強に立ち向かう近代国家にしようとした明治新政府の考えがあったと言われています。このとき永大寺は廃寺となります。その跡地が現在の深川公園、深川不動尊などになります。現地を歩くと分かりますが深川公園は広々としていますし、深川不動尊は立派で広い敷地があります。
ここで深川不動尊についておさらいしてみましょう。深川不動尊は正式な名称は成田山東京別院深川不動堂。つまり成田山新勝寺の東京別院なのです。江戸時代に成田山不動信仰は庶民の中に広く浸透していました。元禄16年(1703)に第一回目の出開帳がされるのですが、それが行われたのが永代寺なのです。成田から不動明王像を運び江戸の人々に公開しました。そして明治に入り永大寺は廃寺になりますが、不動信仰の火は消えず、この地に明治14年(1881年)に深川不動堂が完成します。つまり富岡八幡宮とも深川不動尊とも関係が深いわけです。神社の富岡八幡宮は健在で、明治14年には不動信仰により深川不動尊が完成。しかし深川不動尊の元となる永大寺は消えてしまうという。その後、明治29年(1896年)に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺になります。
富岡八幡宮と深川不動尊と永大寺の関係。歴史を紐解くとなかなか不可解という話もあります。このようなブログがありました。
この内容によれば廃寺となったときの永大寺住職はその後、富岡八幡宮の宮司になっているといいます。住職(お坊さん)が神職である宮司になるということがおきるのでしょうか。他にも江戸六地蔵が破壊されたことにも触れています。江戸時代に広大な敷地を誇った永大寺が一度は消えて、深川不動尊は残り、吉祥院が引き継いで現在の小さな永大寺が残るということに疑問を呈しています。
余談ですが平成の終わり、平成29年(2017年)には富岡八幡宮宮司による富岡八幡宮殺人事件と呼ばれる連続殺人事件が起きています。
現在の永大寺は地蔵堂が通りに面していて存在感を出しています。露店が並ぶ参道でひときわ目を引きます。敷地内には地蔵尊が多数あります。ふと足を止めて境内に入ってしまいます。
歴史と背景を知るとまた面白いです。
甲野 功
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