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~地域散策 試衛館跡~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 試衛館跡
試衛館跡

 

 

もう20年以上前になりますがNHK大河ドラマ『新選組!』を覚えているでしょうか。当時SMAPのメンバーだった香取慎吾さんが主演。脚本を三谷幸喜氏が担当。平成16年(2004年)の作品です。幕末の英雄、新選組。ただでさえ人気が高い新選組。それを大河ドラマの題材にしたわけで、大ブームになりました。大河ドラマの影響は非常に大きく、関連施設やロケ地は観光客が押し寄せます。この『新選組!』ブームに近所は巻き込まれました。

 

まず新選組とは。非常に有名なので特に説明はいらないと思います。幕末の頃、江戸幕府により組織された浪士隊。京都の治安を守るための武力集団で、京都で長州藩がクーデターを起こそうとしたのを未然に防いだ池田屋事件が特に有名です。局長近藤勇、副長土方歳三、一番隊組長沖田総司、二番隊組長永倉新八、三番隊組長斎藤一と有名な浪士が多数います。私は中高校生のときに少年マンガ『るろうに剣心』を読んでいたのでこれらの実在した人物が登場することにワクワクしていました。土方歳三は明治後も新政府軍と戦い続けは函館の五稜郭で散ります。その新選組ですが江戸で中核をなす者たちがいたのが試衛館です。

 

その試衛館跡が当院からすぐ近くにあるのです。

 

試衛館。厳密には本当に試衛館という名称だったのか異論があります。江戸時代末期にあった天然理心流剣術の道場のことです。天然理心流は後の新選組局長となる近藤勇の流派です。その門弟には土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田左之助藤堂平助、斎藤一らがいたと言われています。試衛館自体は天保10年(1839年)に近藤勇の養父である天然理心流3代目近藤周助が創設しています。近藤勇は4代目にあたります。近藤勇が京都に向かった後も慶応3年(1867年)までありました。名称も含めてはっきりしていなことが試衛館にはあります。まず江戸時代の記録に試衛館の三文字が記述された史料はないそうです。ではなぜ試衛館と知られているかというと明治6年(1873年)に書かれた『両雄士伝』に『構場(号試衛)江都市谷柳街…』とあるからだそう。号すなわち施設名が“試衛”なので試衛館だろうと。また『新選組 「最後の武士」の実像』(中公新書)という本では“史料には試衛場という名称しか示されていない、試衛館の名は確認できない”と述べられています。

更に正確な場所が実は分かっていません。試衛館は江戸市谷甲良屋敷にあったことは事実です。甲良とは名字で甲良氏のこと。大工の棟梁です。幕府大棟梁という役職を務めた家系なのです。初代が甲良宗広(1574年~1646年)で現在の滋賀県甲良町法養寺の出身。滋賀県の甲良町です。甲良氏の主な業績としては日光東照宮の造営・修理、安政大地震によって崩壊した江戸城の修復です。明治末まで11代続き、11代目の息子が昭和21年(1946年)に亡くなるまで家は続きました。3代甲良宗賀の時に日光東照宮修繕の褒美として切米100俵と市谷の地を拝領するのです。この市谷の地が市谷甲良屋敷であり、現在当院がある住所、東京都新宿区市谷甲良町の由来になります。なお、よく勘違いされるのですが市谷と市ヶ谷は違います。現在のJR他各線の市ヶ谷駅がある場所と市谷は結構離れています(徒歩20分くらい)。市谷がつく町名は現在の都営大江戸線牛込柳町駅周囲です。

更にいうと市谷甲良屋敷があったのは現在の現在の東京都新宿区市谷柳町25番地あたり。現在の市谷甲良町にあったわけではないのです。また一軒の屋敷ではなく甲良氏が幕府から拝領した土地を町人に賃貸していた賑やかな商店街であったといいます。その区画のどこに試衛館があったのか。正確な位置は分かっていません。そのことは地元民である私もずっと前から知っていて、新選組のルーツである試衛館の場所を特定できないので史跡を示す施設がずっとありませんでした。当時、山田屋権兵衛の所有する蔵の裏手に試衛館があったと山田屋の子孫である田畑家では言い伝えられているそうです。また試衛館は市谷甲良屋敷ではなくその隣、現在の市谷甲良町1番地にあったという説もあるのですが、その場所は明治10年代まで吉野元順という医師が代々医塾を開業していたことが確認されているため違うだろうとしています。

 

その試衛館ですが試衛館跡として一応の決着をつけたのが平成16年(2004年)の3月でした。東京都新宿区教育委員会が「市谷甲良屋敷=市谷柳町25番地」という説に基づき、現在の新宿区市谷柳町25番地内に碑と改札板を設置しました。現在の老人ホーム「メディアシスト市谷柳町」裏の駐車場です。では平成の中頃になってやっと試衛館跡を決めたのでしょうか。それはもちろん大河ドラマ『新選組!』の影響です。試衛館でのシーンが放送されるといわゆる聖地巡礼というもので大河ドラマを観た視聴者が試衛館跡を訪れるわけです。そうなると何かしらのものを設置しないといけません。今でもよく覚えていますが毎日大勢の人が試衛館跡をみに来ていました。ツアーの集団で来ることも珍しくありません。そして一様に、これだけか、とがっかりする様子。私も京都の池田屋跡に行ったときにパチンコ屋の前に1本、碑が建っているだけでがっかりしたものです。それと同じです。

しかも大河ドラマ放送時には試衛館に関する案内板があったのですが今は撤去されています。また碑もより奥の方に移動されており、意思を持って探さないと見つからないような感じです。大河ドラマフィーバーで板橋や京都など新選組縁の土地は様々な関連グッズを展開しPR活動をしました。しかし試衛館の我が地元は一切そういうことをせず、申し訳ない程度に案内板を出しただけでした。構ってくれるなと言わんばかりに。現実に本当に今の碑が建っている場所に試衛館があったのかは分からないのです。新たな史料が見つからない限り曖昧なままでしょう。市谷柳町25番地は結構範囲が広いのです。

 

21年前の新選組ブームも過去の事。今もひっそりと試衛館跡を示す碑があります。歴史や新選組が好きな方は見に来てもらいたいです。牛込柳町駅から歩いて2分くらいのところにあります。

 

甲野 功

 

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