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~教員養成科同窓会~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 教員養成科同窓会
東京呉竹医療専門学校教員養成科30期同窓会

 

 

新宿で呉竹学園東京呉竹医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科の同窓会が行われました。

私は、当時の名称では東京医療専門学校ですが、鍼灸マッサージ教員養成科(以下、教員養成科と表記)30期生です。教員養成科はあん摩マッサージ指圧師はり師きゅう師のいずれかの資格を持った者が入学できる厚生労働省管轄の専門学校教員免許を取ることができる科です。教員養成科自体は現在、4校しかありません。東京に2校、大阪に2校。他に視覚支援学校の教員にもなれる教員養成課程の学校が東京にあります。私は東京医療専門学校鍼灸マッサージ科を卒業し、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師免許を取得。そのあと同校柔道整復科も卒業し柔道整復師を取得しました。そして母校の教員養成科に入学します。

 

呉竹学園の教員養成科は最も歴史が古く、既に創立40周年を超えています。全国から生徒が集まります。私のように東京医療専門学校出身者もいますが、30期同期でいえば北は北海道、南は鹿児島まで他校の卒業生が入学してきました。当然ですが全員が国家試験を合格しています。またあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の3資格(あはき師とまとめることがあります)の者とはり師、きゅう師の2資格(一般的に鍼灸師と呼びます)の者が混在しています。年によってはあん摩マッサージ指圧師だけの生徒もいます。学校だけでなく取得資格が異なる者が同じクラスで学ぶのも特徴です。更に私のように柔道整復師も持っている生徒もいます。30期では4分の1くらいが柔道整復師でもありました。

このように多様性がある環境で2年間学びます。母校の教員養成科は2年制となっていますが厳密には1年時がアドバンスコース、2年時が教員免許取得のためのコースとなっています。そのため他校では1年で卒業して教員免許は取らないという選択肢もあります。母校の場合は全員2年間通って教員免許を取得させる方針です。

 

私が教員養成科に入学したのは2012年。前年に起きた東日本大震災から少なからず影響を受けています。柔道整復師国家試験直後に起きた東日本大震災。未曾有の大災害が生き方、考え方を変えました。当時勤めていた職場の問題がきっかけになり、長女が生まれたばかりの中、あはき師になってから5年経過する中、教員養成科に入学したのでした。2年間で実力、そして人脈を作り、教員免許も得た上で、卒業後一気に駆け上がるという意気込みでした。私はあん摩マッサージ指圧師になりたくて東京医療専門学校鍼灸マッサージ科に入学しました。同じ3年間で鍼灸も取ることができる鍼灸マッサージ科がいいよという助言を受け、“あん摩マッサージ指圧師を取るついでに”鍼灸師にもなったのでした。そのため鍼灸、東洋医学に対する憧れも情熱もなく。真面目に勉強と練習はしましたが、学校の試験に合格する程度の技術と国家試験に余裕で合格できる学力を身につけただけでした。本気で鍼灸に取り組むようなったのは現場に出てからでした。鍼灸師になって5年。現場で技術を磨き知見を広めてきましたが、きちんと鍼灸と東洋医学に打ち込んでこなかった負い目がありました。後悔はしていませんが、今後本当に重たい症例の患者さんと相対したときに鍼灸や東洋医学の力が必要になるのではないかという懸念が芽生えていました。それも教員養成科に入学する理由になりました。

そして鍼灸マッサージ科を卒業して5年。柔道整復科を卒業して1年。再び柔道整復科と同じ(当時の)代々木校舎に通うことになったのでした。

 

入学して同級生はみんな新卒だったことを知ります。私の印象では臨床経験が豊富なベテランが集まるという認識でした。私が鍼灸マッサージ科卒業直後に入れば25期だったはずで、やはり25期に入学した鍼灸マッサージ科の同級生からは周りは凄い人ばかりだと聞いていたので。28名クラスで私を除いた27名のうち26名が新卒で、残り1名は母校の専門学校で教員補助として1年間働いていた。現場で働いた経験があるのが私だけでした。それは意外であり拍子抜けでした。私があはき師として働きだした頃、専門学校に入学すらしていないという。高校を卒業してすぐに鍼灸専門学校に入学し、21歳で資格を取りそのまま入学した者も多数いて、年齢が10歳以上離れた同級生とやっていくのかという気持ちにもなりました。一方、2月末まで国家試験に向き合っていた人に比べて、5年間のブランクがある私は座学がついていけないという事態に。5年間の間に国家試験の難度は跳ね上がり、経穴(いわゆるツボのこと)の場所と名称が一部変更になっていました。国家試験レベルの問題を授業で出されて、解けなくて焦りました。また普段使わない経穴は記憶から消えていて「水分?水道?」そんな経穴あるわけないだろうとちょっと頭にきました(もちろん存在します)。元々東洋医学概論、経絡経穴概論が得意ではないところに中医学、経絡治療とより専門的な授業が始まりついていくのが大変でした。そして現場で覚えた鍼灸術は情熱をもって練習してきた新卒の同級生にかなわないところもありました。自分で求めたことですがまた基礎から勉強、練習をすることに。経穴を全部書き出し、白地図のような人体図にプロットしていく。艾を捻る。基礎を見直すことを余儀なくされました。教員養成科の2年間は本当に大きくて、本当に実力をつけられたと実感しています。

 

そして人脈も。講師陣は業界老舗の呉竹学園が選抜しています。1期上、1期下の学生とも強い繋がりがあり、才能ある人がいました。また入学当初は新卒ばかりで経験がないと思っていた同期も強力な個性やバックボーンを持っていることがすぐに分かりました。年齢でいえば私より10歳下もいますが10歳以上年上もいます。教員養成科を卒業する頃。卒業して10年経って各々経験を積んで集まったら面白いだろうなと考えていました。そして教員養成科を卒業して11年後。当時頭に思い描いていたように本当に集まりました。

 

当日は当時の学科長を含めて15名が参加しました。卒後10年経過してこの人数は凄いことだと思います。実際に教員養成科の先輩がそう呟いていました。小中高大、それに専門(あはき)、専門(柔道整復)と私は学校を卒業していますが同期でこれだけ集まるのは教員養成科だけです。学校全体の同窓イベントなら集まりますが、それでも先輩後輩と交流することが主で同期だけでこの人数は集まりません。今回は還暦を迎えるメンバーがいることがきっかけではあり、会場も東京だったことが要因になると思います。2年前に同じく還暦祝いで浜松で集まったときは8名でしたし。

教員養成科を卒業して11年。各自様々です。専門学校の専任教員、非常勤講師になっているメンバー。当院に同級生の教え子が来院することがしばしあります。学生さん経由で同期の現状を知る。開業した同期も多いです。開業して○周年という人も。そして開業した人に憧れて同期が先生として勤める専門学校に入学するという流れが生まれています。ずっと勤務という人もいます。10年医療機関で鍼灸師として働く者。訪問マッサージ業界で働く者。鍼灸とは別の方面に進んだ者も。

 

今回は当時の学科長だった中村先生の提案で各自近況報告の時間がありました。それがとても興味深かったです。私の頃は入学してすぐにスピーチの授業がありました。マナー講師とホテル支配人が講師の。人前で話す訓練を3ヵ月毎週行いました。教員となったら授業を担当する上で必要なこと。その賜物なのか誰もがきちんと話ができています。いい大人でも声が小さい、話のまとまりがない、ということが経験上遭遇します。あと人が話をしているのに聞いていないとか。そういうことが無いのです。当たり前のようで当たり前ではないことだと思います。そして近況を聞くとみんな自分の強みを活かしている、個性を伸ばしている、と感じました。力を発揮できる場に身を置く。興味のあることをやっている。10年もあれば色々あるでしょうが、みんな方向性が定まって自らの意志で進んでいる。そのように聞いていて感じました。そして教員養成科卒は強い。技術はもちろんのこと、それ以外の自立していくための要素も授業に入っていたことが証明されている気がしました。

 

今回還暦となる同期がいてそのお祝いが会の発端でした。還暦と言ったら結構なお年という気がしますが実際には非常に若い。まだまだこれからだという。今年年男で48歳になる私にとって大きな励みになりました。まだまだ。発展途上。12年後は今よりももっと素晴らしい状態になっていると確信できる。そんな気持ちが芽生えました。

 

甲野 功

 

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